小学校生活の「宿題」くらいから「やらなきゃいけない事」で人生は埋め尽くされていく。
何をやるのか?
何がやりたいのか?
何をやらなければいけないのか?
勝手にどんどんやる事を増やされ、
自分でもやる事をどんどん増やしていく。
気がつけば「やらなきゃいけない事」にまた埋め尽くされている。
人生はわりと短い。
なのに「やらなきゃいけない事」を増やし「やらなきゃいけない事」に埋もれる。
それでも何かやらないといけないと考え、得体の知れない不安を消すために
「やる」ことで自分のテリトリーを広げ、確保しようとする。
しかし、いくらやろうと、いくら頑張ろうと、テリトリーなんて手に入らないし
不安は消えない。
不安は消えないのに、どんどんやる事だけが増えていく。
短い人生が「やらなきゃいけない事」でどんどん消費されていく。
自分の人生が消えていく。
もったいない!
せっかくの僕の人生を「やらなきゃいけない事」で埋め尽くすのはほんとうにもったいない。
そこであるとき考えた。
やる事を決めるのは簡単だ。
やらなきゃいけない事もほっとけばどんどん増えていく。
これを止めなければ、自分の人生をこの手にできない
ならば、まず
「やらない事」を決める!
自分自身からいらないものをはぎ取り、今後決して不要なものが自分の身にまとわりつかないために「やらない事」を決める事にしてみた。
「やらない事を決める事をやる」
なんだか頓知のようだけど、とっても大事な事のように思えて
いろいろ考え「やらない事」の設計方針を導きだすためのルールを考えることにした。
どんなルールを考えたのかはまた今度書くとして、(続きはこっち)
衆議院選挙が間近なので、政治と絡めて「やらない事を決める」について書いてみようと思います。
最近、政治公約とかマニフェストとか政策を中心に選挙が行われているけれども、
これらは全て「やる事」とか「やらなきゃいけない事」を提示している
そしてその「やらなきゃいけない事」が実行されると「実行力」という事になり
実行力がある=良い政治
という事になっている。
実際のところ、公約に書かれている事は過半数とれればできる事でなおかつ国民受けが良いことを書いていて、実際に過半数とったらその国民受け(もしくは企業受け、経営者受け、組織受け)の良いことを実行する。これを「実行力」と言って良いこととしてプレゼンテーションする。しかしその影で、過半数の力を使って公約に無い「やらなくて良い事」まで法律になったりしている。(どの法律を言っているのかはあえて書きませんが。。。)
こうなってくると「実行力」って良いことばかりではなくある意味独裁的だと言えてしまいそうです。
マニフェストの中には「やる事」は書いてあっても「やらない事」は書いていない。
だから、実行力を手に入れたらやりたい放題になってしまう。
このすり替えに、僕らは気がつかなくてはいけないと思うのです。
やる事を決めて実行するって、じつは以外と簡単。
特に政治の世界で言えば、過半数とれてしまえば法を作るのなんて朝飯前です。
逆に「やらない」と決めた事をやらないって、とっても難しかったりします。
でも、ほんとうは「やらない」と決めた事をやらない
それこそが、このあらゆるものが飽和した世界でいま必要な事のように思うのです。
違う側面からみても同じような事が言えます。
法律って、全てを把握している人ってどれくらいいるでしょうか?
全ての法律を読んだ事がある人がどれだけいるでしょうか?
法律を理解するという事自体、相当勉強している人しかできていないはずです。
なのに、どうやって法律を守れば良いのでしょうか?
法律は国会における代表者によってどんどん作られています。
要するに国民として「やる事」「やらなきゃいけない事」がどんどん増えている状態
そして、これを完全に把握している国民はほんの一握りです。
僕も、そしてあなたも
把握できていないという事はもしかしたら気がつかないうちに法律違反をしているかもしれないのです。
誰も理解できないような数の「やらなきゃいけない事」を誰が実行できるのでしょうか?
いらない法律は削除、まとめる等して誰でも法律の全体を理解できるくらい整理をしてほしいなと思うのです。
そのために、わりとシンプルに整理できる方法が「やらない事を決める」だったりします。
私は○○をやりません!
私は○○をやらせません!
私は○○法を無くします!
こんなふうにやらない事を決めて「引き算」の力で国をリデザインできる政治家がいたらいいのになーと思ったりします。
今日もヒビアトリエに来ていただいてありがとうございます!
いきなり政治の話になってすいません。
次回は僕がどうやって「やらない事」を決めているか、そのルールについて書こうと思います。
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