はちょっと脱線してしまったので
今回は前回の頭からもう一度「やらない事」を決めたお話
↓
小学校生活の「宿題」くらいから「やらなきゃいけない事」で人生は埋め尽くされていく。
何をやるのか?
何がやりたいのか?
何をやらなければいけないのか?
勝手にどんどんやる事を増やされ、
自分でもやる事をどんどん増やしていく。
気がつけば「やらなきゃいけない事」にまた埋め尽くされている。
人生はわりと短い。
なのに「やらなきゃいけない事」を増やし「やらなきゃいけない事」に埋もれる。
それでも何かやらないといけないと考え、得体の知れない不安を消すために
「やる」ことで自分のテリトリーを広げ、確保しようとする。
しかし、いくらやろうと、いくら頑張ろうと、テリトリーなんて手に入らないし
不安は消えない。
不安は消えないのに、どんどんやる事だけが増えていく。
短い人生が「やらなきゃいけない事」でどんどん消費されていく。
自分の人生が消えていく。
もったいない!
せっかくの僕の人生を「やらなきゃいけない事」で埋め尽くすのはほんとうにもったいない。
そこであるとき考えた。
やる事を決めるのは簡単だ。
やらなきゃいけない事もほっとけばどんどん増えていく。
これを止めなければ、自分の人生をこの手にできない
ならば、まず
「やらない事」を決める!
自分自身からいらないものをはぎ取り、今後決して不要なものが自分の身にまとわりつかないために「やらない事」を決める事にしてみた。
「やらない事を決める事をやる」
なんだか頓知のようだけど、とっても大事な事のように思えて
いろいろ考え「やらない事」の設計方針を導きだすためのルールを考えることにした。
まずは一通り これはやらないことにしようというものを思いつくたびに付箋に何日かけて思いつくたびに書いていった。
「〇〇な仕事をやめる」
「〇〇な人と会うのをやめる」
「〇〇の心配するのをやめる」
「〇〇なものを買うのをやめる」
などなど、いっぱい出て来た
そこでまたちょっとまてよ?
と思った。
やらないとをふやすと
「これはやらない」と決めるチェック機能自体が増えすぎて
判断が遅れるし、それこそ時間がかかってしまったり、せっかくやらないと決めたものをわすれてやってしまっていたりといくことが起こりそうだ。
人が一日中意識し続けることができるのって一つか二つ。
項目をいっぱい上げてしまうとこの「やらないこと」は機能しなくなる
あー!そう言えばあれやらないって決めてたのにー!
みたいになることがありそうだ。
どうしよう。
並んでいるやらないと決めようとしていることをながめながら
なんとか一つか二つにまとまらないかなー
やらないと決めることをしぼれないかなー
やらないと決めることをやっぱやらないのをきめるのか?
なんだか複雑になって来たときにふと一つの突破口をみつけたのです。
そもそも、なんでやらないことを決めようと思ったのだろう?
そうだ、やらなきゃいけないことを増やさないためにやろうとおもったんだ
やりたいこと、ワクワクすることに囲まれて生きるために
やりたくないこと、ワクワクしないこと、やらされてることなどを減らすために考え始めたのだった。
だったら、
「やりたくないことをやらない」
「ワクワクしないことをやらない」
これにつきる。
そして、このやりたくない、ワクワクしないを発見するためのフィルターなら
一つに集約していつも意識していられるかもしれない。
そこで思いついたのが
「10億円もってたらやらないことはやらない」
こういうフィルターを考えついたのです。
だいたいやらなきゃいけないことって、何かの心配をしたりさせられたりしてやらなきゃいけなくなることが多い。
そしてその心配はだいたい10億円くらいもってたら解消してしまうことが多いと考えたことが前にあって、これを応用しようと思ったのです。
そしてもし、お金の心配がなくなったら自分は何をするだろう?
たぶん、ワクワクすること、楽しいことを全ての人生をかけてやるにちがいない。
この生き方を10億円もっていない時からしようと思ったわけです。
ワクワクすること、楽しいことに囲まれて生きるために
僕は
「10億円もってたとしたらやらないことはやらない」
というフィルターを自分に毎日かけて暮らすことにしたのです。
今日もヒビアトリエに来ていただいてありがとうございます!
短い人生をワクワクで埋め尽くしたいね
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