平和に暮らすために「肩書き」を捨てた

 地域おこし協力隊として沖縄に来てすぐ。地元のクリエイターに言われた。

 

「地元の人間の仕事を奪うな!沖縄の仕事は沖縄の人が優先してやるべきだ!」

 

その頃ぼくはデザインができる地域おこし協力隊として知られはじめたときでした。

そんなぼくにいきなり楔を打ってきたのである。

その頃のぼくは、どうやって地域で楽しく生きていけるかを考えていた頃だったのでとても悲しかったのを覚えている。

 

日本でデザイナーとして生計を立てている人は2010年で21万人くらい700人に1人がデザイナーになったそうだ。

ぼくはこの瞬間この21万人と闘ってきたのかと、

この21万人が

「日比より自分に仕事をさせてくれ!」

「オレの方がセンスがある!」

「地元の仕事は地元のデザイナーがやるべきだ!」

と言ってくる。

気がつけばそういう戦場に引きづり混まれていたんだ。

東京と言う狭い世界で闘って生きるのから少し離れて自分が人の役に立てるのかを試しにきたのに遠く南国の島まで来ても同業者らしきひとに敵と判断されその場が戦場となる。

まさに、バガボンド(井上雄彦)でいう「戦いの螺旋」

 

あーやだ。

闘いたくない。

 

もっと人口が少ない場所の地域おこし協力隊だったらこんな事は無かったかもしれない。

でも、沖縄県うるま市は12万人いる。

日本の700人に1人がデザイナーなのだから、171人デザイナーがいる計算になる。(都市部に集中していると思うのでこんなにはいないと思うけど)

その人たちと、仕事を取り合わなくてはいけない。

 

仲良くなりにきたのに。

 

そんな悩みを2年ほど持ちながら、いろんな仕事を作っていたある日、沖縄で仙台の紅茶の先生に出会った。

この先生はぼくにいろんな事を教えてくれるのですが、ある日

「日比君はどんな事をやっているの?」

と聞かれた時、デザインの話と畑をはじめた話をしたら

「日比君は今、デザインの仕事の話より畑の話の方が目がキラキラしてたよ」

といわれ、ぼくは

「デザインの仕事は怖がられる感じがして最近いやなんです」

と話すと先生は、

「ぼくは、紅茶を仕事じゃなくて『出し物』って言ってて、人とお話をする切っ掛けだと思っているんだ。日比君もデザインが『出し物』になったらいいかもね」

この時ぼくはわかったきがする。

肩書きを決めるというのは、このポジションは自分のものだと宣言する事。

すると領地をとられたらまずいと思う人が争ってきて戦いになる。

都会ではこうやって領地争いをしているのだろう。

ぼくはこの争いからはなれたいなと思った。

だから、肩書きを捨ててみようと思った。

日比康人は日比康人です。

「出し物」はあれとこれとあれとこれと。。。。

領地を捨てて戦わなくてすむようになったら、世界がぶわーっと広がって、

なんで今まで自分は小さな領地にこだわっていたのか?とおもった。

そうか。

世界はこんなに広いんだ!

って。

 

今日もヒビアトリエに来ていただいてありがとうございます!

     

けっして、デザインの仕事しない宣言ではないので、あしからず。

 

 

 

 

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